2017年11月

フライマンの中にもルアーからの転向組が多いのではないでしょうか。

かくいう自分も、鱒族の釣りはルアーから入りました。

当時はクローズドフェイスリールがバタ臭くてこればかり使って居ました。

釣れればそれに越したことは有りませんが、こんな道具立てで釣りをしていること自体が楽しくて仕方なかったものです。


そんな時代、ABUは特別な存在でした。

何より英国王室からビートルズまで使っているという高級リールとのふれ込みは、このリールのすごさと言うよりもビートルズも釣りをするんだ、といった驚きのほうが大きかったように思います。

それまでの日本での釣りやゴルフはおじさんの趣味といった傾向が強く、若者は表立って釣りが趣味だとはなかなか言いづらい風潮でもあったのです。

釣りは国民的娯楽であったにもかかわらず、欧米文化に色気付いた世代には相当ダサく感じたのもまた事実でした。


ところがABUのカーディナルやアンバサダー等のリールが普及することによって、それまでの延べ竿の釣りのイメージが少しずつ横文字に変わっていったのだと思います。

70年代のアウトドアーブームも拍車を掛けたのでしょう。

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カーディナルはABUが開発したスピニングリールの傑作です。

HARDYのアルテックスがスピニングのロールスロイズであれば、カーディナルはフォルクスワーゲン的な存在でしょう。


世界中でいまだに愛されている理由もよく分かります。


詳しくは下記をご覧下さい。

荒川の鮭釣りもいよいよベストシーズンに入ってきました。

今年はエントリーしていませんが、毎年11月後半から12月初旬が最も魚影が安定していると思います。

ただこの2年ほどは不漁でしたが、今年は昨年よりは釣れているようです。


HARDYでナロードラムで最大径のインスプールといえばセントジョン。

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鮭釣りでも充分に対応してくれます。


詳しくは下記をご覧下さい。

15年ほど前のこと、奥利根湖をボートで渡って奈良沢の源流を釣ったことがあります。

しかし釣果はぱっとせず、苦労の割に貧果に終わりました。

ただボートが使えればかなり釣り場は広がる、ということを具体的に体験できたことは収穫でした。

そこで戻ってからボートの免許を取ってみようと思ったのです。

本当は二級船舶を取りたかったのですが当時は仕事が忙しく時間が作れず、一番手軽な湖川限定としました。

講習・実施で半日、試験一日ですので、これでしたら何とか可能です。

ヤマハボート教室で申し込んで、とんとん拍子で免許を取得。

これで何処でもボートで行けるはずでしたが、具体的に行こうと思ってもボートはないし、レンタルボートがあるところも限定的で、ほとんどターゲットはバスになってしまいます。

そんなこんなで、ついに一度も操船すること無く、何時しか失効しさらにそれから10年。


ところがこの数年通っている銀山湖にはレンタルボートがあります。

一昨年MRさんの操船で恋ノ股に行ったことと、思いがけずトローリングのタックルが手に入ったのを機に、もう一度免許を有効にしようと考えました。

船の免許は失効していても講習を受ければ再交付して貰えます。

ネットであれこれ探していると、自宅のすぐ前の「太田学習センター」で講習があります。

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これなら歩いてもすぐですので、さっそくここに申し込み、必要な資料や写真を送って、昨日が講習日でした。

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会場は小さな会議室で、見た限り自分が圧倒的に最年長。余裕を見て10分前に行ったのですが、既に全員集まっていました。

近すぎるほど時間に正確な反面、待ち時間に余裕はありません。

既に自分待ちの状態で、待ってましたと言わんばかりに視力検査を済ませ、すぐに講習が始まりました。

ほとんど30代か40代でしょうか、講習生は10名ほどで、1時間の映像と講習で通常の更新は終了。

この時点で大半の人が出て行ってしまい、失効者はここからさらに1時間半の講習です。

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失効を受講しているのは自分ともう一人の二人だけ。

マンツーマン的に話が進んで、予定よりも若干早めに終了しました。


これで10年ぶりに免許が復活します。

来年は銀山湖でトローリングも経験してみたいし、船からのアプローチで行きたい渓流もたくさんあります。

また少し遊び場が広がった気がします。

週末は久々に天候に恵まれました。

こんな日は鮒釣りにでも行きたかったのですが、何かと雑務に追われ叶いません。


それならばと、MRさんを誘って昼食がてら様子だけ見てきました。

昼食は多々良沼近くの平べったいお蕎麦やさん。

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ここはもっちり系で歯ごたえがあります。

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そして食後は多々良沼を見てきました。

天気は良いのですが、思いのほか風があり水面が荒れてしまっています。

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へら釣りらしき釣り人が数名、桟橋に座を構えていましたが何が釣れているのかは不明でした。

沖にはバス釣りのボートが数隻出ていますが、流石にシーズンオフの様相です。

自分の小鮒釣りの歴史の大半はこの界隈での釣りだったように思います。

小学生のころは電車で、中学になると自転車でここまで来ていました。

自宅からは遠く、子供にとっては遠征に当たりますが、良い時期は毎週来た記憶があります。

今では高くなってしまった桟橋も、昔はこのすぐ下まで水面が来ていましたので、だいぶ水位が下がってしまったのでしょう。

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桟橋そのものは、いまだに当時の面影を残します。


そんな原点の釣りをたまにやりたくなります。

釣れるのは雑魚でかまいません。

今でも鮒は釣れますが、昔あれほどいたタナゴはほとんど見かけることは出来ません。

良く釣りは「鮒に始まり鮒に終わる」と言いますが、確かにこの釣りは子供でも老人でも楽しむことが出来ます。

渓流や海や鮎などに比べ、お手軽さでは最高の釣りと言えるでしょう。


今度天気の良い日に、のんびりと釣りに来てみましょう。

英国のFARLOWはHARDYよりも歴史の古い英国王室御用達の由緒正しき釣具屋です。

創設は1840年ですので、江戸時代から釣り具を作っていたことになります。

日本でも釣り文化は歴史もあり進んでいますが、ことフライフィッシングに関してはそれこそつい最近の出来事です。

我々がよく知るところのC.FARLOW&Co.と社名変更したのは1885年、HARDYの創業の後と言うことになります。

1960-70年頃にはFARLOWは輸入されていましたが、当時はどちらかというとバンブーロッドのイメージが強かったと思います。

さて写真のリールは1900年代前半のPERFECTタイプの3ピース・リール。

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アルミ地金で、レギュレータ無しのキャリパーチェック搭載です。

FARLOWのこのタイプのリールはいくつか取り扱ったことがありますが、年代によって
チェック機構に違いがありますが、これが実にユニークな構造でパテント以外に明らかに
HARDYとの違いを主張しているように感じてなりません。

フェイスにはFARLOWの社名とトレードマークが刻印されていますが、これがなかなか趣があります。

さてそんな英国の釣り具業界においてHARDYと両翼を担ったFARLOWも、戦後になると紆余曲折して最終的にはHARDYの傘下に入ります。

もっともそのときHARDYも既に創業者一族は離れ、HOUSE OF HARDYと社名を変えていました。

英米で歴史ある釣り具ブランドの多くは合併や企業買収によって吸収され、現在もまだ名が残っているところは良い方で、多くのメーカーが誕生しては消えていきました。

製品の善し悪しよりもビジネスの手腕の方が企業を発展させていく上では大切な時代であることに異論はありませんが、こと製品に関して言えばビジネス度外視したような心意気の感じる物が多くの釣り人を魅了するのでしょう。

ビンテージの魅力はまさにここにあるのかと思います。

どんなに精密な機械で削り出されたリールよりも、ヤスリの目の残るようなリールにどうしてもロマンを感じてしまいます。

長い歴史の中で試行錯誤を繰り返し、時に銘品が生まれます。

その歴史を道具を通して楽しむのもまたフライフィッシングの楽しみの一つかと思います。


同じ英国製プレート式の3インチのリールでも、それぞれ表情が違います。

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同じサイズのリールでも、これだけの種類が出来るのですから、昔から嗜好性の高い釣りであることに間違いはなさそうです。


詳しくは下記をご覧下さい。

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