2017年12月30日 納竿会 加賀フィシングエリアで恒例の納竿会を行いました。 晴天に恵まれましたが、若干風が強意く寒かったですが、魚も良く釣れて楽しい時間を過ごすことが出来ました。 今年もありがとうございました。 来年もよろしくお願い致します。
2017年12月28日 年末 早いもので今年も残すところ僅かとなりました。 当社は10月決算なので年末が提出日。 何かと忙しい年の瀬ですがようやく決算も終え納税も済ませました。 まだ仕事は残っていますが、とりあえず一段落。 そんな折、佐野アウトレットに出かけると大賑わいでした。 景気が良くなっているのでしょうが、それも業種によってまちまちです。 来年も良い年であって欲しいですね。
2017年12月26日 新潟の渓流 昔の写真を見ているとその時の様子が鮮明に蘇りますが、かれこれ40年以上前の事で、時系列が曖昧で果たして何が先だったのか。 記憶の糸をなるべく正確にたぐり寄せ、記録に残せればと思います。 幸いにも最近のことはすっかり忘れっぽくなりがちですが、昔のことはまだまだ良く覚えています。 写真の年代のヒントは服装と車でしょう。 保管してあったアルバムにこんな写真もありましたので、この辺から以降ということでしょう。 この頃には既にフライフィッシングを始めていて、確か丸沼にはこの車で行っていましたし、同時期新潟で釣りをしたこともあります。 学生時代は時間もありましたので同時進行的にアルバイトも遊びも、もちろん勉強も短期間で集中してやった時期ですので様々な記憶が断片的に残っているのでしょう。 今のように週単位ではなく日単位ですので、休み中は週3でスキーに行くなんてことはザラでした。 車はその後ビートルに乗り換えましたが、ビートルは一度湯沢ヘスキーに行った帰りに、雪道で滑ってあわや魚野川へ転落しそうになる事故を起こしています。 道路から落ちて斜めに傾き、自力では脱出出来なくなってしまったのですが、運良く通りかかった4輪駆動車に引っ張り上げてもらい大事には至りませんでした。 この前日、泊まっていた民宿でテレビを見ていると速報で田宮二郎氏の自殺のニュースが流れ、みんなでショックを受けたので良く覚えています。 この事件は78年の暮れのことです。 少なくともこの一年前には乗っていたことになりますので、このことから推測してこれら丸沼や湯川から渓流までの記憶はおそらく二十歳から二十四歳くらいまでの出来事だと思います。年代からすれば1975年から79年までです。 さらに76年の冬にはアメリカで半月ほど過ごし、そこで購入したのが白いフィッシングベストと当時無名だったパタゴニアのパイルジャケット。 これは試作と言うことで、スポーツ屋さんで安くまけてくれたのですが、後で聞いた話によるとレアなお宝だったようです。 湯川などはこれを着てますし白いベストはほぼ着て映っていますので、これらの写真は76年以降ということです。 当時のメインの趣味はスキー、オフはテニスやサーフィンを少々と時々フライフィッシングでした。 ただフライはスキーやテニスのついでに新潟の川でも釣っていましたので、湯川の直後くらいには新潟の渓流へ行っていたことになります。 たしか当時の新潟は11月だけ禁漁で、他は周年釣りができたのではなかったでしょうか。 魚野川上流部や太源太川などの渓流や太源太湖もボートから釣ったのですが、あまり釣れた記憶がありませんので余計に印象に薄いのかもしれません。 湯沢周辺は高校時代のスキーの授業や合宿で行っていましたので、他の趣味でも行きやすかったこともあって、その後も通い続けることになります。 ただ渓流に填まるきっかけはこの日の出来事だったと思います。 それは学生時代の夏休み、大学の仲間とテニスで苗場へ泊まり行くことがあり、釣り具も 車に乗せてあったので翌日の早朝に一人で抜け出して近くの川へ行ってみたときのことです。 国道17号を湯沢方面に向かうと矢木沢という小さな集落に入る支線があって、ここから川方面に向かうと一本の木造の橋が掛かっていました。 橋の名前は大島橋です。 奥に見えるのが大島橋。 ここが苗場山や神楽峰へ向かう林道の始点で、その後もここを基点として多くの釣り場へ行くことになるのですが、まずはこの下でロッドを振ってみることにしたのです。 橋の上流には集落から流れ込む支流があって、これが本流に合流する場所がちょっとしたプールになっていて、二筋の流れが一本に交わる筋で派手な水しぶきが上がっているのを見つけました。 まさしくこの場所です。 角度を変えて同じ場所。 しかもよく見るとそれは一つや二つではなくて、不定期ながら一面で起こっているようでした。 水面には小さな虫が舞っていて、湯川用のグリズリーハックルの小さめのスタンダードフライを結びキャストするのですが、複雑な流れでどうしてもドラッグが掛かってしまいます。 これは湯川のようなスローの流れとは違ってかなりやっかいでした。 それでも立ち位置やキャストする方向を変えたりしながら調整し、ようやく最初の一尾がヒットしてきたのです。 ぐいぐい引きながら水中でキラキラと抵抗して輝いているのは、いったい何を掛けてしまったのかと思うほどの強い引きでした。 サイズは24cmほどでしたが、その美しさにただただ見とれるばかり。 それまでも小さな山女魚は釣ったことがありましたが、このサイズは初めてでした。 山女魚って大きくなとこんなに綺麗なんだと、あらためて認識したものです。 ブルーのパーマークとピンクの側線が鮮やかで、色白で肌のきめの細かいまさしく渓流の山女魚です。(この水系の山女魚は今でも綺麗です。) その後も何尾かは掛けたと思いますが、陽が昇ると次第にライズはなくなり、この日の釣りは一旦終了。 朝飯前のことでしたが、思いがけない興奮を味わうことが出来たのです。 その後も少し川を見ていると餌釣りの人がやってきて、さっきまでライズのあった筋に餌を投入するのですが、かなり粘って1尾しか釣れずに帰って行きました。 普通の渓流でも時間次第でライズが起こることを知り、こんな条件では餌釣りよりも釣れるフライフィッシングは、確かに理に適った釣りだとあらためて感じたのです。 透湿ウエーダーの無い時代の真夏の釣りでは短パンにTシャツとスニーカー。こんな格好で渓流を飛び回っていたのです。 山女魚の美しさもさることながら、この環境の素晴らしさ、釣りの面白さ、そして何より釣れると言うこと、これら全てが渓流に填まっていく要因となりました。 昭和50年代前半の清津川での出来事です。 その後の度重なる出水と河川工事で、今では見る影もありません。 写真は記事中のエピソードよりも少し後のものですが、その時と光景は変わっていないと記憶しています。