鮒釣り少年の次のステップはヘラブナ釣りと言うのは必然でした。
竹竿がメインの時代に、グラスの振り出し竿で「江戸川」というへら竿があり、これが欲しくて小遣いを溜めて手に入れたときは、ようやく一人前になった気がしました。
フライで言えばORVISのグラファイトロッドを手に入れたような感じでしょう。
日本ヘラブナ釣り研究会の太田支部というのが近所にあって、中学の時に同級生数名とこのクラブに一時所属していたのでした。
クラブは圧倒的な大人の世界でしたが、会長はじめ皆優しく接してくれました。
それまで自転車や電車で行ける範囲の釣り場がメインでしたが、会長のお誘いで釣り雑誌に出ているような本場と言われた釣り場に連れて行って貰ったことがあります。
まだ車も普及しておらず、自家用車のある家庭の方が少なかった時代に車で行けるのは子供にしてみれば夢のようなお話です。
確か千葉か茨城の野釣りでしたが、まぐれで尺近いヘラブナが釣れてしまって会長に持って帰りたいと懇願したのですが、へら釣りは基本C&R。
持って帰るのはダメだ、と当然の返事。
しかし、会長は車に戻ると墨と半紙を持って来て、あっという間に簡単な魚拓を取ってくれて筆で署名してくれたのです。
今では写真で残すのが一般的ですが、当時は魚拓を取ってリリースと言うこともままあったことです。
こうして遊びを通してルールを学び、学校以外での大人と接する機会を得たことは大きな経験となったと感じています。
しかし高校進学と共にそれまでの釣り仲間とも別々になってしまい、興味もバイクやスキーという新たな世界を知ることで、釣りからは徐々に遠ざかってしまったのでした。